この記事は2019年8月にnote版OWL magazineに掲載された記事を転載したものじゃ。一部改変して最後に補足をしておる。取材・執筆は中村慎太郎じゃ。

信じられるだろうか?

サポーターとして一つのクラブを追うだけでも大変なのに、複数のクラブのサポーターをしている人がいる。

しかも現地観戦派として。

三重から深夜バスで帰ってきて、
半日を仕事をした後に、
栃木SCの応援をして、
翌日からまた仕事。

そんなスケジュールも彼女にとっては普通である。

いやいや、それだけじゃなくて、2つともコアの活動もしているのでゴール裏で巨大な大旗を振り回している。

そんな主婦がいる!

信じがたいほどのバイタリティ!
応援するクラブ、選手への深い愛情!

世の中には、1つのクラブの応援に専念せよと主張する人もいる。クラブへの愛は分散させるべきではない。1つの愛をすべて注ぐべきだという主張だ。

その是非はともかく。

愛情量が人の2倍あれば、2つのクラブを愛することが出来る。それだけ体力、精神力、気力も必要になってくる。不可能なんじゃないかとぼくも最初は思っていた。

しかし、現実に成し遂げている人が存在するのだ。

サッカー界には彼女を表現する語彙がない。



「かずみさん!!一体どうなってるんですか!!」

桑名駅前にある桑栄ビル。
その中にある昭和風情たっぷりのカフェの中でぼくは叫んでいた。

もう一つの浮気な恋が判明したのだ。

と、書いてご本人に原稿を確認してもらったところ……。

「浮気な恋など一つもない!すべて本物の恋じゃ♡」(原文ママ)と突っ込まれてしまったので、謹んで訂正する。

もう一つの本気の恋が判明したのだ、と。

彼女が栃木SCとヴィアティン三重を現地観戦していることは知っていたが、船山貴之選手を見るためにジェフ千葉にも顔を出しているのだという。松本山雅の時も通い詰めたため、松本山雅のシーズン記録雑誌などに載っているとも言っていた。

彼女には聞きたいことがたくさんある。

・栃木から三重に通うようになったのは何故なのか。

・一体どうやったらそんな時間が捻出できるのか。

・配偶者の理解は得られるのか。

・何をどうしたら、栃木&三重&船山貴之サポという複雑な状況になるのか

彼女は単なる浮気者なのか、それとも恋多き女なのか。いやいや、そんな言い方だとちょっとイメージが悪い。豊かな人生を送っているというべきだろう。

とはいえ、こういう状態についてどう表現したらいいのだろうか。

サッカー界には彼女を表現する語彙がない。

マルチ女子サポとか、新型コアサポとか、何か言い方があるような気もするが、現状では彼女を形容する表現はない。しかし、こういったサッカーの見方も大いにありだと思う。

一つのクラブを頑固なまでに応援し続ける方法もあるかもしれないが、それだけがサッカーではない。サポーターではない。そんな気がしている。

豪快かつ繊細。
土佐の皿鉢のような彼女の話を是非聴いて頂きたい。

※注
2023年には個サポ、兼業サポなどがかなり一般化してきたが、2014年頃はネットに書くと猛烈に非難されたし、2019年にもそういう名残はあった。著者中村は、サッカーは自由なので、自由なスタイルで観戦するべきだと10年間主張し続けている。

サッカーファンより選手サポ?


中村(ぼく):かずみさんといえば、クラブとして三重と栃木を応援していると同時に、船山選手の専属サポでもありますよね。そのへんからはじめましょうか。

かずみ(別名むぎちゃ。以下、かずみ):サッカーが好きというよりも、選手が好きという人は実はかなり多いと思う。サッカーが好きで見ているんじゃなくて、好きな人がやっているスポーツがサッカーという人。だって、船山って名前がついていたらどんなものでも買うもの(笑)。


「船山の記録:松本山雅からジェフ千葉からフロンターレまで。そういえば川崎でバナナ男にもなっていた」

中村:なるほど。そういえばグッズって買ったことがないな……(笑)。石川直宏のユニフォームは欲しかったけど。確かに男性ファンは、グッズにあまりお金を使わない傾向があるかもしれないですね。

かずみ:そうそう、私みたいなおばちゃんサポを大事にして欲しいと思う(笑)。

中村:仰るとおりで……。ぼくのようにDAZNを視聴してブツブツ言っているおじさんに比べて、現地派でグッズは必ず買うとなると金銭的な貢献度は高いかもしれませんね。選手サポ、個サポというような存在は珍しくないのは知っていますが、2つのクラブをコアサポ的に応援しながら、個サポもやっているというのは滅多にないケースだと思います。かずみさんのようなサポーターがどうして生まれたのか是非読み解きたいです。お願いします!

かずみ:はい、私でよろしければ(笑)

サッカー初観戦は伝説のJリーグ開幕戦?!

中村:全然わけがわからないのですけど、どうやったらかずみさんみたいなサポーターが生まれるのでしょうか。一番最初にサッカーを見たのはいつですか?

かずみ:一番最初はね、サッカー見てないのよ。見てたけど。

中村:え?

かずみ:Jリーグの開幕戦わかる?

中村:1993年、ヴェルディ川崎vs横浜マリノスの伝説の試合ですか?まさか現地にいたんですか?!

かずみ:そうそう。

中村:ものすごいプラチナカードだったと聞いているんですが。

かずみ:すっごい高かったよ。確か。私ね、前田さんのファンなの。

中村:前田さん……?前田遼一ですか?

かずみ:違う違う。開幕戦出てないでしょ。
※前田遼一選手はJリーグ開幕時は小学校六年生

中村:うーん、ヴェルディにもマリノスにも前田という選手はいなかったような……。

かずみ:TUBEの前田亘輝さん。かっこいい……。

中村:え?!

かずみ:国歌斉唱をしていたのよ。TUBEのファンが集まっていて、私もミニスカ、ハイヒールで観に行ったのよ。座席もよくわかってないし、対戦カードも知らなかったんだけど。

中村:なるほど……。で、試合はどうだったんですか?

かずみ:見てないから、知らない。

中村:は?!見てないんですか?

かずみ:私たちTUBEファンは、試合が始まったら前田さんの出待ちに行っちゃったので、みんなすぐ帰ったの。

中村:そのためにン万円と言われたプラチナチケットを……。

かずみ:だって前田さんが国歌斉唱するなら行かなきゃでしょ!

開幕戦の国歌斉唱。前田さんが歌うところに頭出ししてあります。確かにすごい!

サカイクママとしてサポーターデビュー


中村:要するに、開幕戦は観に行ったけど、それはサッカーにはまるきっかけにはなっていなかったということですかね。とすると、サッカーにはまったのはいつなんでしょう。

かずみ:うーん、私は9歳の時からジャイアンツファンなのね。だから、息子も野球プレイヤーになると思ってたの。それが13歳の時にサッカーを始めて、息子サポーターになったのが始まりかな。

中村:J開幕が1993年で、息子さんがサッカーを始めたのが2004年ですね。なるほど!サカイクママだったわけですね!!

かずみ:そうそう。開幕戦のあとも、巨人ファン繋がりでヴェルディ川崎を見たり、代表戦を見て、鈴木隆行と柳沢敦のツートップかっこいいとかは思ってたけど(笑)。

中村:やっぱり格好いい男メインなんですね(笑)

佐藤光将選手!横顔がやばい!


教員選手に導かれて栃木SCを見始める


かずみ:それでね、息子がサッカー部に入って、息子のガチサポになった時に、中学校の臨時職員に片野 寛理(ひろみち)選手がいたのよ。栃木SCって元々教員系のチームだったから。

中村:片野選手、存じ上げなかったのですが、栃木SCからキャリアを初めて、海外クラブなどにも所属した選手のようですね。

かずみ:そうそう。そういう縁もあって、栃木SCを見るようになったんだけど、翌年すごいことがあったのよ(2007年7月のことらしい)。柱谷幸一さんが来て、栃木SCを完全プロ化したの。それまでは教員なんかと兼業をしている選手が多かったのだけど、昼の練習との2部練を始めたので兼業していた選手は全員クビ。

中村:おお……。それはなかなかドラスティックな……。そしたら選手達はどこへ?

かずみ:栃木ウーヴァ(現栃木シティフットボールクラブ)に行ったり、そのままやめちゃったり。その時私は怒ったのね。今となってはわかるんだけど、当時は全然わからないから、愛着があったチームがバラバラにされちゃったし、やめなきゃいけない選手もいる中で、こんな残酷なことはないって。プロ化ってなんなんだって本気で思ってた。

中村:なるほど……。それは栃木SCの歴史を語る上で重要な出来事ですね。

栃木SCのゴール裏で大旗を振り始める

中村:栃木SCの試合はどのあたりの席で見ていたのですか?
※どの席で見ているかを聞くと、その人の観戦スタイルが大まかにわかるので、よくこういう聞き方をする。

かずみ:ゴール裏にはいた。でもまだ大旗は振っていなかった。10年前くらいにピンチヒッターで大旗を振って、そこからレギュラー化して今に至るという感じ。

中村:何かサポーター団体には入っていたんですか?

かずみ:栃木アヴァンソっていう私設の応援団があったのよ。もうないし、多分覚えてる人あんまりいないけど(笑)。


中村:栃木SCを応援してきて良かったことを並べてみるとどんなことがあるでしょうか?

かずみ:まずは、毎週末を楽しみに生きられるようになったこと。試合があるだけで生活の張りが違う!後は監督についての見る目が出来たこと。これは特に松田浩監督に出会ってからかなぁ。毎試合ネクタイとスーツで来てとってもジェントルマンなんだけど、メインスタンドを煽ったりとか、ベンチ蹴飛ばして退場になったりもするの(笑)。

中村:ギャップが凄いですね!!

かずみ:そう(笑)。松田浩には、監督を見るっていう楽しさを教えてもらった。後は、船山貴之に出会えたこと。

中村:来ましたね……(ちょっと緊張している)。

かずみ:私、船山貴之のことなら、三日三晩語れるんだけどどうする?(笑)

中村:新幹線の時間がございますので、要点だけを何卒……。というわけで、まずは、出会いから!

かずみ:船山は流通経済大学で大学得点王だったのだけど、それが栃木に来るぞということで、サポーターさんがざわついていたの。どれどれ、どんなヤツやと思って待っていたら……。1発で心臓を打ち抜かれる。ドストライクなイケメンだった……。かっこいい……。

中村:うーん……。なるほど……。えっと、他にどういうところが良かったですか?

かずみ:俺様スタイルのオラオラ系。格好よかった。それが栃木SCに来る。私のために来てくれた。嫁にしてください。

中村:(ぼくに言われても……)。ちなみに、旦那さんはどんな様子なんでしょう。

かずみ:私ね、船山貴之と結婚しようと思うのって言ったら「そうだね、頑張ってね。結婚できるといいね」って。

中村:大人なのね(笑)。ついでに聞くと、サッカーにのめりこんでいることについてはどう思われているのでしょう?

かずみ:基本、家事は全部やってからサッカーを観ることにしているのね。掃除も、洗濯も、ご飯も困らないように全部作り置きするようにしている。特に文句は言われないんだけど、絶対に文句は言わせないようにしながらやりくりしてます。

中村:流石です……。で、船山とのラブロマンスはどうなったのでしょう。

かずみ:それがね。栃木では全然人気がなくてブーイングされてたの。本当はいい子なのに。あの船山と普通に話している!とか驚かれることがあるんだけど(笑)。俺に近寄るなみたいなオーラが出すときあるからね、あの子。でも結局栃木ではあんまり使われなくて、松本山雅に移籍をしたの。

船山貴之ユニフォーム。ジェフ千葉バージョン。


松本山雅のユニフォームを身にまとい船山への愛を語る

中村:ついに松本山雅編ですね。栃木から松本まで観に行こうと思ったときはどんな気持ちだったのですか?

かずみ:2011年8月のことだったんだけど、松田直樹選手の件があった時と重なってたの。だから、今は移籍してきたばかりの船山のことにかまっていられる人なんかいるわけない!ほっとかれているに違いない!って思って。私が行かなきゃって思ったの。

中村:そのまま松本に通うになったわけですね。

かずみ:そうそう。昇格した時には雑誌にも載ってるよ(笑)

中村:えっ?!山雅サポとして?!

かずみ:サポとしてかはよくわからないけど、当時の松本山雅は選手個人のユニフォームを着ている人が少なくて12番だらけだったの。

中村:なるほど。確かにそんなイメージはありますね。

かずみ:私が32番の番号と船山というネームを入れようと思って、パルコの中のスポーツ店にいったら驚かれちゃって。しょうがないから、パルコで番号なしのユニフォームを買って、栃木まで持って行って知り合いに付けてもらったのよ。

中村:なるほど!そしたらレアになるのも当たり前ですね。

かずみ:昇格したときは船山のゲーフラあげてから目立ったのもあるのかも。

息子と共にヴィアティン三重へ!


中村:さて、波瀾万丈のかずみ伝もついに佳境です(新幹線の時間が迫っているので巻いてます)。ヴィアティン三重の話が全然出てこないのですが、どうして三重に行くようになったんですか?

かずみ:うーん、元は息子。

中村:ふむ。そこから紐解きましょうか。息子さんの経歴からですね。

かずみ:息子の名前は、佐藤光将といって陽南中サッカー部から、文星芸術大学附属高校サッカー部に入った後、JAPANサッカーカレッジに行ったのよ。県一部時代のFORTUNA CUPSのキャプテンもしていて、北信越2部にチームを上げたの。


中村:それはすごいですね!今のJクラブや地域で名の知れたクラブとは試合したことはあるんですか?

かずみ:サウルコス福井(現福井ユナイテッド)とはやったことがあるはず。ただ、翌年は山内選手というライバルが現れて、出れなくなったのね。そんな中、ヴィアティン桑名(現ヴィアティン三重)に出会ったの!

中村:ええっ!?このタイミングで?!

かずみ:練習会をしていてそこに参加したんだけど、息子は183 cmあって空中戦に強かった。それが翌年からヴィアティン桑名の監督になる海津ダイレクターに評価されたみたい。で、桑名に入る前から、試合にも出してもらって、FC岐阜のセカンドチームとの対戦に出場してて、その時も桑名からナローゲージに乗って行ったなぁ。

ナローゲージ:線路の幅が狭い軽便鉄道のこと。西桑名駅からヴィアティンのホームスタジアムがある東員町までを繋ぐのだが、今回は乗れなかった。

一応ナローゲージの写真はあるけど、令和で一番構図が酷い写真となった……。撮り鉄は偉大だ。


中村:ナローゲージに乗って行ったのは東員町のスタジアムまでですか?

かずみ:いやー、もっと先。どっかの山の中。

中村:忘れた、と(笑)。ヴィアティン桑名に入ることを決めた理由はあるんですか?

かずみ:Jリーグに上がるための環境が良かったというのが決め手かな!ただ、ヴィアティンでは怪我も重なっちゃってね。両膝だからン百万コース。

中村:うへぇ……。親御さん目線で大けがの話を聞いたことがなかったけど、ただひたすらに恐ろしいですね……。

かずみ:結局桑名には、試合を見に来ているというよりも、水回りの掃除に来ていたの。光将にとっては初めての一人暮らしだったから。

中村:実際桑名を見るようになって見てどんな感想だったんですか?

かずみ:もうウハウハよ!!元J選手も多かったし。北九州にいたGKの水原選手、湘南や札幌にいた和波智広、鳥栖や鳥取にいた加藤秀典でしょ、山形にいた坂井将吾も!!その時代は本当に強くて地域リーグでは銀河系軍団なんて呼ばれていた。25点とって勝つこともあったから(笑)。

中村:25点!!

当時の記録がいとうさんのブログに掲載されていたので紹介したいと思います。
得点者一覧が狂ってます。ヴィアティン日記

得点者
前半1分 13リンタロウ
前半5分 13リンタロウ
前半7分  6坂井
前半11分 28太倉坐
前半17分 9荒木康
前半19分 13リンタロウ
前半20分 13リンタロウ  
前半21分 28太倉坐
前半28分 16ジブリン
前半31分 13リンタロウ  
前半32分 28太倉坐
前半35分 28太倉坐PK
前半37分 28太倉坐
前半39分 28太倉坐
後半6分  8石川
後半7分  9荒木康
後半15分 9荒木康
後半18分 23サムエル
後半23分 23サムエル
後半25分 23サムエル
後半33分 23サムエル 
後半35分 23サムエル 
後半37分 23サムエル
後半39分 8石川
後半39分 15田宮

中村:サポーターも多かったんですか?

かずみ:最初は3人。私と昨日一緒に飲んでいたいとうさん、そして、初代コールリーダーのムラサワさん。光将が出場した岐阜の山の中でやった試合を見に行っていたのだがこの3人。こうなるとサポーターにならざるを得ないという感じだった。

「初期のヴィアティン三重サポーター」


中村:そしたら銀河系軍団のサッカーを目撃していたのはその3人だけなんですか?

かずみ:後は社長の後藤さんやスタッフさんも見ていたかな。でも全然少ない。そこで転機になったのがセレッソ戦。

中村:セレッソ大阪と試合をしたんですか?!

かずみ:知らないの?!ヴィアティン三重を語る上で絶対に外せないのが天皇杯のセレッソ大阪戦!!2014年の7月12日のことなんだけど、やべーってなって。

中村:やばいというのは?

かずみ:だって、サポーター3人しかいなかったから、これじゃかっこつかねーって。キンチョウスタジアムに3人で乗り込むわけにはいかない。だから光将の友達に声をかけて、ツアーバス1台くらいは集めないと。もう応援しなきゃというよりかっこつけるためにやっていた気がする。

中村:セレッソ戦の時点で3人だったんですね……(笑)

かずみ:JAPANサッカーカレッジのトップでコールリーダーをしていたミヤケくんに来てもらって、地元スポンサー様のご厚意でバスツアーを出して頂けたのもあったので何とかかっこがついた。

「謎の英文雑誌に掲載されたミヤケくん、らしい。オーストラリア誌か?」


中村:一気に注目度があがりそうなイベントですね。

かずみ:そうそう。試合には負けちゃったけど延長戦まで行ったから、アドレナリン出まくり。今コールリーダーをやっていたRYUJIもその試合をどこかで観ていたらしい。

中村:最古参というわけではないんですね。

かずみ:そうそう。2年前にコールリーダーをやりたいと言ってきて(ということは2017年のことだ)、デビューは忘れもしないFC大阪戦で、たまたまムラサワさんが参加できないタイミングで「俺にやらせてください!」と名乗りをあげたのがRYUJI。

中村:エヴァンゲリオンのシンジ君みたいですね(笑)。育児世代のパパさんが自分からコールリーダーをしたいと思うのはよほどのことですね。あ、かずみさん、話は尽きそうにないのですが、そろそろ名古屋に移動して新幹線に乗らないと!!

かずみ:あ、そうか。じゃあ(船山)貴之の話はまた今度。本当に三日三晩出来るから。

中村:はい、是非!(嘘)

かずみ:ええ。このあと、佐光塁との船山貴之より激しい恋物語がはじまって、息子がヴィアティンをやめた後に、息子がいたとき以上に三重に通う生活がはじまったんだけど、その話はどうする?

中村:まだあるんかい!佐光塁選手についてはまたいつか!