「さぁ、“挫折のカリスマ”大城あしか、タイトルマッチで編集長の座を目指すこと25年!!」
「チャンスを掴むことができずに、幾度も失敗を重ねて敗北を繰り返していたのであります」
「そして訪れた2023年!!またしても敗れてしまうのかと思われたその時!!」
明太子スープレックス!!
明太子スープレックスだ!!
そのままフォール!!
1
2
3
スリーカウント!!
「不屈の根性で繰り出した博多生まれの必殺技、魂の明太子スープレックスで、ついにタイトル奪取!」
「大城あしか!!やりました!!ついにやりました!!」
「大城あしか!! 大城あしか!! 大城あしか!!!」
みなさまこんにちは。大城あしかです。
OWL magazineをリニューアルすることを機に、僕は編集長の座を密かに狙っていました。ただ、自分から手を挙げることはなんとなく気恥ずかしくて黙っていました。
僕が社会人として初めて就職した会社は雑誌社でした。編集長は雲の上の存在。若かれし頃は編集長に反発するばかりの問題児でしたが、このように編集長へ対する憧れはずっともっていました。
学歴は高卒で、仕事も飽きてはすぐに辞めてしまい転々とする流れ者の職ホッパー。やることなすことうまくいかず、失敗なんて星の数。『みんなの経済新聞』に所属しているWebメディアの記者として活動したこともありましたが、編集長の座は遥か遠く。
ある日のこと。
「あしかさん、編集長やらない?」
OWL magazine代表の中村慎太郎から声をかけられました。
編集長ですと!? 待ってました! やるばい!
と、いえば良かったのですが……いや、こういう場合は、やるたい!なのか?
福岡出身の僕は、博多弁で返事をしようと思って口ごもってしまいました。あまりに黙っていると、やりたくないと思われてしまうので「やります!」と標準語で答えましたが、何とも面白くない返し方になってしまった。
これからは地域密着をうたうJリーグを扱うメディアの編集長なのだ。だから、こういった方言にも敏感にならないといかんたい。とは思いましたが……。
普段、福岡で会話のやりとりをするネイティブ同士だと、さほど気にしたことはなく、感覚で博多弁の「〜ばい」と「〜たい」を使い分けて話しています。
これらの違い、わかりますか?
気になって仕方がないので、調べてみると……
「ばい」 自分が知っていることを、相手に教えるときに使う。
「たい」 自分が言うことは真実だと、強い断定をするときに使う。
なるほど。今回は「やるたい!」が正しい!
では改めまして——。
大城あしか、OWL magazineの編集長をやるたい!
OWL magazineはサポーター目線、観客目線で書いた記事を掲載していきます。
よろしくお願いします。
まずは、編集長に就任した私のサポーター人生について、少し紹介させてください。
僕が観たアビスパの勝利試合の中で最高だったのは、1998年J1参入決定戦「神を見た夜」と呼ばれた川崎フロンターレ戦でアビスパを初観戦した試合です。
一方で最低だった試合は、ヴィッセル神戸を相手にした2006J1・J2入れ替え戦の第2戦。1-1のドローだったが、アウェイゴールの差で敗北、J2降格が決まったホイッスルの後の光景はいまでも忘れることができません。
僕の応援歴を遡るとプロ野球チームの西武ライオンズが原点です。
生まれてからすぐに父が働いていた東京で過ごして、その後は千葉県で少年時代をおくりますが、中学生の頃に幕張から生まれ故郷の福岡へ引っ越すことが決まります。
福岡で仲良くなった友人がライオンズ私設応援団の副団長をやっていて、僕は平和台球場で一緒に野球を観に来ないかと誘われます。引っ越したばかりで居場所がなかった僕は、ライオンズの応援にのめり込んでいくようになりました。他の応援団員さんたちも優しくて、とにかく楽しかったことを覚えています。やがて、友人の誘いにのって応援団に入ります。
福岡でライオンズの試合は10数試合。学生の頃はアルバイトをしながらチケット代を稼いで、全試合を観に行っていました。30歳になって引退するまで、リーグ優勝や日本一を経験して団員生活に悔いはありません。
そんな野球ファンがなぜ、アビスパにハマったのかというと……。
当時のJリーグは2部制が始まる頃で、サポーターたちの熱気と迫力は鬼気迫るものがありました。福岡におけるライオンズの応援は「とにかく楽しく」がモットーで、勝敗はおまけのようなものでした。
もちろん勝ちたいし、ホークス相手には負けたくなかったけど、その温度感は比べものになりません。いまでは、歳を重ねてサポーターの中心地で飛び跳ねて応援することはなくなりましたが、いまでもゴール裏の上段あたりの席で声を出して、たまに飛び跳ねながら応援を続けています。
2021年5月に中村慎太郎と出会い、OWL magazineを知りました。「旅とサッカーを紡ぐ」という言葉を聞いて、なんて素敵なテーマなんだ!僕がやりたいことをすでにやっている人がいたんだ!と感銘を受けました。
仲間にしてほしい、OWL magazineで文章を書いてみたいという気持ちになったのですが、ふたりで焼き肉を食べてビールを飲みながら語り合っているうちに出版社として株式会社を設立、中村が社長で僕が副社長となり、一緒に西葛西出版の経営をすることになるなんて、なんだかドラマみたいな展開で自分自身が一番ビックリしています。
OWL magazineは「サッカーを自由に表現する美味しそうなマガジン」として新しくオープンいたします。僕たちが経営している西葛西出版の仕事で、お客様と打ち合わせした帰りにふたりで歩きながら考えたコンセプトです。
公開記事は過去分を含めて、すべて無料でお読みいただけます。文章のみならず、イラストや動画、音声コンテンツを包括する総合メディアとして生まれ変わります。
良質なコンテンツを、読者の皆さまへお届けすることを大切に、サッカーを通じて地域やサポーターがもつ文化の素晴らしさを広めたい。僕はこのような意識、使命感を持って編集長としてメディア全体をとりまとめることになります。
ゆくゆくは新人ライターの育成プロジェクトや、OWL magazineブランドの専属クリエーターチームを作るなど、人と関わっていくことを軸にして活動していきたいです。
これまで通りサッカー旅の記事はもちろん、中村慎太郎の新書籍『君がJリーグを認めるまで 僕は歩くのをやめない』と連動した企画も併せてお届けいたします。この企画では、僕も編集者として関わります。
大城あしか、個人のライターとしては「サッカー旅とカレーライス」をテーマとした記事をメインとして、サッカーと同じくらい大好きなプロレスを話題にしたファン目線からの文章を書きたいと考えています。
好きな団体は、ストロングスタイルの新日本プロレス、王道プロレスと呼ばれた全日本プロレス。その系譜を持つプロレスリング・ノアのようなメジャーと呼ばれるプロレスはもちろん、エンタメ性の高いDDTプロレスリングや、マットプロレスのチョコプロ(我闘雲舞)もよく観ています。
サッカーとプロレス、相見えないものであるようでなさそうな両者をどう文章化していくのか。編集長就任とOWL magazineのライターとして活動していくことに対して、王者に立ち向かってチャンピオンベルトを狙うべく、闘志をむき出している挑戦者のような気持ちでいます。
OWL magazineでは、BIAKD(馬場、猪木、秋山、清原、デストラーデ)砲のような破壊力のあるマガジンを掲げてまいります。これからも末永くご愛読いただけますと幸いです。
OWL magazine四代目編集長
大城あしか
OWL magazineの公式LINEに是非ご登録お願いします!
更新情報に加えて、カオスな雑談部屋へのパスコードが手に入ります。
【登録はこちら】