vol.1はこちら

う……。

うう……。

ううう……。

のど……。のどがかわいた……。

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口の中がカラカラになっている。

起き上がることが出来ない。

どこだ、ここは……。

なんでこんなに喉が渇いているのだ。

そうだ、ここは今治のビジネスホテル。

今のぼくの状態を簡潔に表現すると「二日酔い」である。

今治紀行、2日目——。

二日酔いと共に——。

1日目の記事はこちら

昨日は日本酒をどれだけ飲んだのだろうか。5合は飲んだと思う。少なくとも。1升は飲んでいないと思うのだが、ビールもかなり飲んでいるので結構な酒量になってしまった。

飲み放題だからということで、二宮かまぼこの看板娘が次から次へと日本酒を注文していた。思えばあの時のギラついた目を見て、いさめるべきだったのだ。しかし、旅の楽しさもあり、イベントが終わった後で緊張感から解放されたこともあり、続々と運ばれてくる日本酒を、飲み続けることになった。

今治の日本酒もあったと思うのだが、どんな味だったのかまったく覚えていない。飲んだことを覚えているだけでも自分を褒めてあげるべきだろうか。

飲み放題というシステムにおいては、飲み放題の時間が終われば後はまったりとするのだが、その後も追加で日本酒を頼み続けていた。というと、今治が酒飲みの土地という感想を持たれる方もいるかもしれないが、酒好きが一人いて、その酒好きに見つかってしまっただけであり、土地自体が酒浸りではないはずだ。

さておき、帰り道に酔い覚ましの麦茶でも買おうと思ったのだが、二次会の寿司屋さんで想定外の出費をしたので、買い物をするのを躊躇してしまった。寝る前に水をがぶ飲みするべきだった。

不覚……。

喉がカラカラだ……。

とにかく、水だ。

水はどこだ。

ない……。どこにもない。

しょうがない。水道水だ。

何とかベッドから這い出て、洗面所の水道水をがぶ飲みする。ベッドと水道を何往復かするうちに落ちついてきた。とはいえこれだけで1時間以上経過している。

お風呂に入り、さっぱりした時には9時を過ぎていた。ようやく落ち着いた。どういうわけか身体の節々が痛いのだが気にしないことにしよう。

さあ、行こう。

「ありがとうサービス.夢スタジアム」へ

試合だけはスポーツツーリズムとしては絶対に外せない。逆に言うと試合が終われば完全にフリータイムである。今回は滞在を長めにして、翌日の月曜日は釣りに行く予定であった。

そんな時、釣りに連れて行ってくれることになっている矢野さんから電話がかかってきた。

「今日、試合の後ワカメを採りに行きますか?」

数秒、混乱した。
その後、こう答えていた。

「……。はい、行きます。」

そういえば春の時期はポコポコとワカメが湧いてくるのであった。しかし、ワカメ採りか。

ワカメ採り。

ふーむ。

ワカメを採りに行くことになるとは思わなかった。

大学院でアワビの行動について研究していた頃は、ウェットスーツを着てドボンと海に入って、ダイビングナイフを使って採捕していた。さてはて、今治ではどうするのだろうか。

ワカメは潮下帯と言われるある程度深いところに生えているので、もしかしたら本当にドボンと海へと入るのかもしれない。とはいえ、瀬戸内海は潮の流れが速いはずなので、ちょっと現実的ではないような……。

幸い得意分野なので、不安はないのだが、謎は深まる。ただ、矢野さんは思い立ったら行動というタイプの方のようなので、あれこれ聞くよりもついていくしかない。それもまた旅の味といえるだろう。今日は、とても楽しそうだが、ハードな夜になりそうだ。

さておき。

その前に一仕事がある。

「ありがとうサービス.夢スタジアム」まで歩いて行かなければならない!!

何故なら、タクシーのおばちゃんから不可能だと突きつけられたからだ!!

負けないぞ、今治商人!

というわけで、重い体を起こして、お風呂に浸かり、9時半には部屋を出た。ホテルの朝食が9時までであったので、食べ損なってしまったが仕方がない。コンビニで何か買おう。

ホテルを出ると、イソヒヨドリが美しい声でさえずっていた。

広く海辺に分布する鳥のはずなのだが、分布域を広げているので神奈川県の橋本のような内陸でも繁殖しているらしい。橋本の場所は、町田や相模原の近くといえばJリーグ界隈の人にもわかりやすいことだろう。

清々しい快晴。

イソヒヨドリのさえずり。

爽やかな風。

二日酔いの身体。

試合開始まで3時間半。

さあ、行こう!!

盟主の今治造船が、お客さんを呼ぶために建てたという噂(酔っ払ったときに聞いたので詳細が怪しい)。

そして、↑の写真のはるか向こうには……。

わかりづらいので拡大する(ズームで撮影した別写真)。

おわかりだろうか?これが……。いや、その前にもう一回拡大しよう。野鳥撮影のために購入したこのカメラは50倍までズーム出来るのだ!!

長距離撮影なので少し像がゆがんでいるが、何とか確認はできる。

左上の丘陵斜面に見える青い横断幕は、まさしくFC今治のチームカラー。そう、これが「ありがとうサービス.夢スタジアム」なのだ。

そして、ここまで歩くのだ。負けないぞ、今治商人!!

歩き始めると、二日酔いの身体に水道水が染み渡り、段々と気分が良くなってきた。ちなみに今治の水道水の味は普通であった。長野、松本あたりは尋常ではなく美味しい。

最初の目的地は今治城。海沿いにあって、ホテルを出ると城郭が見えた。

近づいていくとお堀があり、のぞき込んでみると……。

クロダイ……?

サイズは目測だが30~40 cmほどだろうか。いや、光の屈折によって水中にある物体は大きく見えるので20~30 cmくらいかもしれない。いずれにせよ、なかなかのいいサイズだ。見渡してみるとお堀はクロダイだらけであった。20尾,30尾……次々と見つかる。

クサフグも発見(フグはちょっと自信ないのだが)。

池の鯉みたいな顔をしているボラー博士。

今治城は、自然史博物館などもあって非常に楽しかったのだが、詳細に語ると終わらなくなるので涙の割愛。文章は少なめに写真を紹介する。

今治城城主、藤堂高虎候の像と今治城。

来島海峡大橋。
手前に見えるのは初日、雨に降られて逃げ込んだ建物「はーばりー」。

山側を見ると今治で一番背の高い建物。というよりも唯一背の高い建物である、今治国際ホテル。お土産屋さんなどを探したものの、駅ナカのセブンイレブン以外に発見できなかったのだが、このホテルには併設されているようだ。ばりーさんグッズもあるかな?

そういえば、アメフラシ類、イソギンチャク類、ヒトデ類、ウニ類、ナマコ類などのベントス(底生生物)があまりいなかった。唯一見つかったのが、ガザミ(ワタリガニ)の一種だけであった。アジやイワシもいないようだ。

お掘の中には淡水が湧いているところがあるというので、海水というよりも汽水と捉えるほうがいいのかもしれない。メダカの仲間も泳いでいるところがあるらしく、世界的にも珍しい海水魚と淡水魚が混泳するお堀なのだそうだ。それは、そうそうないことだろう。

さてさて、こんなことを語っていると永遠に先に進めない。干潟の環境になっているという犬走りについても小一時間語りたいところだが、もう城を出よう(犬走りが潮間帯になっているなんて素敵なことがあっていいのかしら!)。

というわけで、10時15分に城を出る。駆け足の見学であった。

そして、ホテルからお城までの間にコンビニがなかったので非常にお腹が空いていたのだが、早々にファミリーマートが見つかる。山賊焼きがあったので、信州松本を思い出しながら購入する。

そういえば松本城の前のセブンイレブンでも山賊焼きを食べた。思えば、その日は松本城からアルウィンまで歩いた日だった。スタジアムまで歩く前には山賊焼きを食べるという謎の習慣が誕生しつつある。

後で山道になるという情報もあったのと、順調にいっても到着まで2時間ちかくかかるので、行動食としてアーモンドチョコを購入。

しばし街を歩き、蒼社川沿いへとでる。川沿いを歩くのは好きで、松本城からアルウィンまで歩いた時も、奈良井川沿いをしばし歩いた。なので、あの美しい奈良井川沿いの雰囲気を期待していたのだが……。

まず最初に驚いたのが、下流だというのに水量が非常に少ないことであった。ぼくの住む関東平野には、江戸川、荒川、隅田川、多摩川と膨大な水量を持つ川が流れている。それに比べると、蒼社川はほとんど枯れているような川だった。

良い写真が撮れそうなポイントを探しつつ歩いたのだが、なかなか見つからず、これが精一杯であった。良い風景とは言いがたい。

歩道はなく非常に歩きづらい。常に車と接触しないように用心する必要がある。川沿いの植物は手が入っているとは言いがたく、固い雑木がバリケードのように侵入を阻んでいる。

道路を一本挟むと民家があるのだが、お世辞にも綺麗な家が多いとは言いがたく、むしろ夜であったら幽霊との遭遇に怯えないといけないような家並みであった。中でも、随分と昔に廃墟になった家は不気味で、ガタガタになった引き戸の隙間に、多数のダイレクトメールが差し込まれていた。

日本固有種のセグロセキレイが多数いたのは収穫だったが、野鳥ファンにとっては珍しい種類ではない。この写真からもわかるように水は透き通っている。

あと、個人的な趣味だが、魚道にはテンションがあがった。鮎が遡上してくるのだろう。サクラマス(ヤマメ)とかもいるのかな?どうなんでしょう。

ただ、魚道はあるにはあるのだが、川の端にあるだけなので、見つからずに困る鮎もいるんじゃないかという気がする。このへんは知識がないので詳しい人に聞いてみたい。

さておき。自然散策としては楽しめる要素はゼロではなかったのだが、とてもではないが絶景とは言いがたく、また、川沿いに並ぶ民家の寂れ方が負のプレッシャーを与え続けてきたこともあり、蒼社川沿いの道を離れることにした。

民家が立ちならぶ、地元の人以外絶対に入らないような路地をしばし歩く。

路地を歩くのは好きだ。何故なら、その土地の、その土地らしさが細部に現れていることが多いからだ。

ところが、今治の路地は……。

正直、つまらない。


こんなに路地歩きをして退屈したのは初めてだった。そこには驚きがほどんどなかった。どんな路地であっても、何らかの楽しみが見つかるのだが、それがなかなか見つからない。例えば、ちょっと凝った植木とか、玄関前の飾り、犬、小鳥、猫、美しい建築、子供の遊ぶ公園などなど。

代わりに見つかるのは、普通の民家、空き家、廃墟なのである。そして、不自然なほど唐突に現れる単身者用の「長屋風アパート」。こちらは新築である。学生街によくあるような、仮設トイレの集合体のような鉄骨のアパート。

こういったことから察するに、あまりお金のない若い人はいるようだが、それによって街の雰囲気がよくなっているとも思えない。ほとんど人とはすれ違わないのだが、たまに見かけるのは老人ばかりであった。

廃墟を見つけると途端にテンションが下がる。廃墟にはそういう力があるらしい。空き家ではなさそうだが、外壁にはんにゃの面やら天狗の面やらがたくさん貼り付けてある何とも言いがたい雰囲気の家もあった。

気分は八つ墓村である。家を撮影しようとも思ったのだが、頭に懐中電灯を2本つけた日本刀と銃を持った山崎努が出てくるといけないのでやめておいた(映画『八つ墓村』より)。

老人ばかりとすれ違う中、唯一といっていいほど若い夫婦に出会ったのだが、若い旦那さんは非常に不機嫌で、軽トラのドアをバシンと閉めて走り去った。うぬぬ……。

ぼくが見たものは偶然の光景だ。路地が一本違えば、すれ違う時間が少しずれればまったく違うものが見えた可能性もある。一方で、全ては偶然ではなく必然だと言うことも出来る。

人様の暮らす街について何かを語るというのは非常に勇気のいることだ。さらに、こういったネガティブな描写をするのもあまり良いことではない。そのため、自分が見たものが、例外的なものを偶然見ただけなのか、その街にいると高頻度で目にする必然的なものなのかはよくよく考えた。結果として、ある程度必然性はあったのだろうと考えた。

不機嫌になった若者を見たのは偶然ではないような気がしている。つまり、日曜日の午前中に家族に対して不機嫌な様子を見せる若者のことである。

偶然ではないと感じたのは、今治で見てきたものを総合してもそうだし、路地を歩いていて感じた退屈と、ある種の寂しさから考えても、不機嫌な若者がいそうな街だなという気がしている。サッカー界で流行りの総合的判断である。

そういえば、町中で不機嫌にしている若い若者を見ることはそう多くない。というかここ数年記憶にない。そういう意味でも何らかの必然を感じる。

もう少し路地を歩き続けて、観察事例が増えていけばもっと確度の高いことは言えたかもしれないが、実際のところ、正しく今治の街を言い表せているかどうかはよくわからない。しかしながら、路地歩きという一番好きな行動をしていたにも関わらず、退屈し、心が寒々としてきていたという事実は確かなことであった。そして、あの若者の不機嫌さがとどめになった。

もっとも、お城のように豪華な建築もあるにはあった。しかし、よくみたら葬儀場であった(ドリーマー今治吹揚葬祭館)。うぬぬ……。

歩いた時間以上に疲れた。もうタクシーを拾おうかな。この町を歩いていても仕方がない。寂れた街、くたびれた街、終わっていく街。そんなことを言いたくはないのだが、そんな言葉しか浮かんでこない。

若者も子供もいない。唯一見つけた若者は、不機嫌だったのだ。なかなかのうぬぬ感である。

大通りに出る。

地方名物街道沿いのBOOK OFF / HARD OFFがあった。後で調べてみたら、このBOOK OFF / HARD OFFを運営しているのが、スタジアムのネーミングライツを持っている「ありがとうサービス」という会社ということがわかった。何の会社かと思っていたのだが、フランチャイズに参加する形で、BOOK OFFやモスバーガーなど多数のお店を運営しているようだ。

ホームページを見ていたら「はーばりー」にあるコーヒーテラスやビアテラスも「ありがとうサービス」が運営しているようだ。ビアテラスといえば、結婚式をしていた場所で、サポーターとの楽しい会合を除くと、あの結婚式が今治の街中で見つけた数少ない心明るい出来事であったような気がする。

閑話休題。

そもそも、ぼくは二日酔いなのである。喉がカラカラの状態で起きあがった。そして、朝食を採らずに歩き出して、唯一食べたのがアーモンドチョコと山賊焼きなのだ。

よほど楽しい道筋であっても辛さを感じたはずだ。だから、そういう前提での感想であることを差し引いて頂きたい。とはいえ、BOOK OFFがあるメインの通りも、どこの地方にもあるような駐車場付きの店舗があるばかりで全然面白くない。

「JJ-自由時間」と書かれたしゃれた建築があったのだが、これはなんとパチンコ屋。巨大な駐車場を見た時に嫌な予感がしたのだが……。これも地方都市のあるあるだ。

疲れもあって次第に絶望的な気分になってきた。

確かにFC今治のサポーターはとても好意的で、イベントも飲み会も最高に楽しかった。けど、この街には何かが欠けている。だから街を歩いても面白くないのだ。

シャッター街や廃屋を歩いていて楽しさを感じる人もいるだろう。実際のところ、それはそれで興味深い。ただ、新進気鋭のサッカークラブが生まれていく土地としては、物足りない。物足りないどころではない。決定的に何かが欠落しているし、Jリーグへと羽ばたいていくことなんて不可能とすら感じた。

サッカークラブが強くなる背景には、ある程度の人口が必要だし、これからその土地で活躍していこうという若いエネルギーも不可欠だ。そういった活力の元で、サッカークラブは生命力を得るのだ。

宮城県女川町の小さなクラブ、コバルトーレ女川が躍進したことがニュースになった。一年で降格してしまったものの、全国リーグであるJFLへと昇格したのだ。理由は間違いなく街のエネルギーと期待度の高さによるものだろう。このあたりの熱い物語は、佐藤さんの著書に詳しい。名著なので是非読んで頂きたい一冊。

被災地からのリスタート:コバルトーレ女川の夢』(佐藤拓也著)

なんでこんなことを思い出したのかというと、地方都市あるあるのメイン街道を抜けた後、造成された登り道を歩き始めたからだ。

2013年に女川を訪れた時は、震災の爪痕がまだ生々しかった。その時訪れたスタジアム、あるいはグラウンドが「女川総合運動公園第2多目的運動場」。確か、こんな雰囲気の登り道の上にあった。

当時のツイートが残っているのでついでに紹介。

※山形村は松本のアルウィンがあるあたり。よく熊が出る。

町田感が出てきたと呟いているが、町田はもっと大自然なので少し違う。この造成された感じは女川のほうが似ていると思ったのだが、どうだっただろうか。もう5年も前なので記憶が曖昧になっている。

山登りモードになった後は、左手の林の中からはウグイスの声が聞こえてくる。

ホー、ホケキョ。

右手の丘の上からはヒバリの声が聞こえる。

ピリピリピリピリピリピリ、チューチュクチューチュクチュクチュー、ピリピリピリピリ。

植生が変わり、生物相も少し変わったようだ。

ヒバリは草原にいる鳥で、ウグイスは暗い藪の中にいる鳥だ。珍しい鳥ではないが、ぼくはヒバリが好きだ。それはスピッツの『ヒバリのこころ』という曲が好きだからというのもあるのだが、それ以上に冠羽が好きなのだ。そう「カンウ」である。鳥の小さな頭に、ひょこっと冠のように毛が立っているのがたまらなく可愛いのだ。

ヒバリの姿見えないかなぁと思って、右手を見ながら歩いていると……。

いた!!!!
見つけた!!!
鳥だ!!
飛行機だ!!
いや、人間だ!!!!!

そう、人間を見つけたのだ!!!

駐車場に車を止めた人たちが続々と現れ、坂を登っている!!!

そして……!!

閉塞感は打破され、絶望も打ち砕かれた。

ぼくの耳元で、今治の街への絶望をささやいていた悪魔(マーラ)は消え去った。婆羅門!!

この場所はすごい!次から次へと人が湧いて出てくる。

3時間歩き続けていたので、多少の疲れもあったと思う。

いや、そのせいだ。きっと、そのせいだ。

この光景を見て、ほろりと涙が流れたことは恥ずかしいことではないのだ。

「ああ……。この街にはこんなに人がいたんだ……。こんなにたくさんの人がいたんだ……。こんなにたくさんの子供がいたんだ……。こんなに笑顔の人がいたんだ……。」

今治という街を好きになろうとした。けど、歩いているうちに、街の悪いところに目がいってしまった。寂れた街、過去の街、衰退していく街、死んでいく街。そんなフレーズばかりが頭に浮かんできた。

けど、あの坂を——。コバルトーレ女川を観に行ったときに登ったのと同じような、あの坂を登ったら、そこには——。

そこには夢が溢れていた。

今治に住む人ならば、かなりの高確率でそう感じるはずだ。

ここは、この町の夢だ、と。

こんな場所が今治にあったのだ。

ほっとした。安心した。

衰退していく小さな街で見つけた、輝くような希望の場所。

夢という名前がふさわしい。それ以外に呼びようがない。この場所、この状況、これだけの笑顔、楽しそうにしている子供達。この街にこんな場所があるなんて——。これ以上のことはない。そして、サッカークラブが街に与えられるものとして、これ以上のものもないだろう。

街を歩いていても、欠片も夢が感じられない土地なのだ。

ここは間違いなく夢スタであった。夢のスタジアムであった。

そして、夢スタジアムの夢は、本物の夢だ。寝ているときに見る夢ではない。幻ではない。

輝かしい将来の像を見せることで、生きる力を与える。本当の希望、本当の夢だ。

FC今治がなかったら、この街はどうなったのだろうか。ぼくはそれ以前のことはよく知らない。もちろん、以前だって薄暗い街だったわけじゃないだろう。この町に生まれ育った人にとっては、愛すべき自分の街であるはずだ。ただ、少しずつ衰退していっていることには、誰もが気づいたことだろう。人口の推移を統計で見てみたところ、昭和50年頃から確実に人口は減ってきている。

きっとみんな気づいていたと思う。ボランティアスタッフの高橋さんは、いつも冗談ばかり言っているお茶目な釣り人だ。彼の観光アドバイスを全部聞いていたら、あっという間に刑務所行きになる。そういう感じの方なのだ。

その高橋さんが真剣な顔をしてこんな話をしていた。

「今治は限界集落になるかもしれないという話を聞いて、定義を調べてみたことがあるんですよ」

冗談ばかり大声で言っている人なので、その後真剣な話にはならなかった。

だけど、一瞬だけ真剣な表情になったのを見逃さなかった。この町が衰退していくことに悩み、何とか食い止めようと考えることがあったのだろう。限界集落というのは、65歳以上の高齢者の人口が50%を超えた集落のことだ。

今治市は平成27年時で33%ほどなのでまだ大丈夫なのだが、周辺の村や島嶼部などは50%の水準を超えているところもあるようだ。

そのためにやっと見いだした方法が、FC今治と共に上を目指すことであり、ボランティアスタッフとしてクラブ運営に関わることだったのではないかと思う。

ボランティアスタッフというのは大変な仕事だ。給料は出ない、仕事はハード、お客さんと常に接するので場合によってはクレームなども処理しないといけない。その上、仕事があるので試合が見れないことも多いのだ。よほど高いモチベーションがないと出来るものではない。Jクラブはボランティアスタッフの献身、使命感によって成立しているといっても過言ではないのだ

愛する街が衰退していく中で、FC今治がやってきた。スタッフとして働く中島くんに聞いたところ、最初のうちは、地元の人は半信半疑で眺めているようなところがあったらしい。

だけど、あるときから流れが変わったのだそうだ。

それが、この夢スタジアムが出来た時であった。

この場所には特別な力があった。この場所が、今治の取り戻した夢であることが直感できる。

ああ、夢だ。
ここは夢だ。
ぼくは夢の場所に立っているのだ!!
こんなに幸せなことはない!!

来て、良かった。本当に何もない場所だけど、夢スタにこれただけでも来た甲斐があった。

疲れが一気に吹き飛んで、軽やかな足取りでスタジアム前の広場を歩き始めた。

選手が出てきて子ども達にサインをしている。サインをコレクションしてクリアーファイルに入れている子どもがいる。中学生くらいの女の子は、恥ずかしそうに選手達と話している。

この街の若い男性は大変だ。よほど格好良くしていないと、サッカー選手との恋のデュエルに勝ち残れない。でも、それはいいことだ。切磋琢磨があり、デュエルがあり、その先に勝利の可能性もあるのならば、強い男が育つはずだ。

突然現れた強力なライバル相手に、今治の若き男児たちは勝てるのかどうか!!

次回予告「今治男児よ!サッカー部へと入れ!の巻」

何を言っているのかわからなくなってきたが、そのくらい楽しい気分になったのだ。そして、色々と考えているうちに、思索は違う方向へと向かっていた。

夢スタジアムは間違いなく夢の場所だ。そして、誰が夢を見ているのかというと、今治という街が再び夢を見ているというのが美しい結論だろう。

でも、それでいいのだろうか。

FC今治とは誰の夢なのだろうか。

岡田武史氏なのか、あるいはスタッフとして働く中島啓太氏のような人物なのだろうか。それとも大企業に勤めている誰かだろうか。

サポーター?二宮かまぼこの看板娘?整形外科の長野先生?みんマガ海賊版のラッキィさん?ボランティアのとっちゃんさんや高橋さん?神様織田さん?ワカメとりに連れて行ってくれる矢野さん?コールリーダーのサエキさん?息子で太鼓のライチューさん?あ、LONGさんも。

思えば多くのサポーターと知り合ったものだ。名前を出していない方も多いのだけど、このへんにさせてもらおう。

FC今治はみんなの夢。それはそれでいいのだが、少ししっくりきていない。もうちょっとだけ考えてみよう。なかなか刺激的なテーマではないか。

FC今治とは誰の夢なのか——。

『にぎわう広場』

『サッカー選手にサインをもらう子ども』


『青い空の下に今治市街が広がる。駐車場には、新スタジアムの建設計画があるらしい』
※2023年1月完成

『マツコデラックスっぽいサポーターに注目。すごい怖そうだけど小心者だから大丈夫らしい(とあるサポーター談)』

『応援しとるけん がんばってーね』

To be continued 「FC今治vsHonda FC マッチレビュー編」

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And more.
To be continued 「瀬戸内海地磯ワカメ採捕編」

FC今治を応援する皆様へ

あるいは、サッカーを愛している皆様へ

ぼくは、日本全国のサッカークラブのホームタウンをのんびりと回っています。まだ半分くらいではありますが、全国すべて回ろうと思います。ぼくが知りたいのは選手の情報や監督の戦術的特徴ではなくて、サッカークラブがどうやってその街に根付いているかどうかです。

なので、選手や関係者に取材することはほとんどありません。なかなか変わったスタイルだと思いますが、これがぼくにとってのサッカーの学び方であり、楽しみ方でもあります。本当は選手になりたいくらいですが、運動能力は人並みであり、サッカーを始めたのは30歳ちかくになってからです。

ぼくにとって一番しっくり来るテーマは、選手としてどういった土地でサッカーをしたいかということなのかもしれません。

そして、好きな土地とは、地元の人に愛されているサッカークラブがあるところです。

今治はとても好きな場所になったので、もし選手だったら今治でプレーしたいと本気で思います。それは、夢の話です。寝ているときに見ている夢、現実にはならない夢です。だから、達成させる必要もなく、努力しなくてもいいわけです。

だけど、本物の夢は違います。本物の夢を見る資格があるものは、常に努力を続けるものだけです。『ノルマンディーひみつ倶楽部』という「夢」をテーマにしたマンガのレビュー記事を書いたことがあります。

そこに出てくる大好きな台詞があります。

「そう、俺たちは諦めない。だから夢を見る資格がある」

FC今治が見ている夢は、本物の夢だと思いました。この文章で度々出てくる「本物の夢」という言葉は、The blue heartsというバンドの『夢』という曲に出てくる言葉です。それが何であるかはわからないけど、とにかく本物の夢を見るんだというのが歌詞の意味ですが、FC今治の夢は明瞭です。

まずはJリーグ。そして、Jにあがったことを力点として、今治の街に活力をもたらすことです。活力がもたらされれば、FC今治も強くなっていきます。正のフィードバック機構が働けば、岡田武史氏という日本サッカー界の頂点を極めたことがある人物がいる以上、マンチェスターユナイテッドやバルセロナのような世界的な倶楽部になることだって、不可能ではないかもしれません。

フットボールクラブの成長はとても遅くのんびりしています。そして、人生は、フットボールを知るには短すぎると思っています。それぐらい奥が深くややこしいスポーツです。

競技のことだけでなく、土地土地の事情、政治、経済、サポーターの応援、スタジアムには足を運ばない地元の人のバックアップ、選手たちの趣味や恋愛まで。色々なことがかみ合わないと先には進みません。そして、放っておくだけで勝手に良い方向に行くことはありません。

Jリーグブームが起きていた最初の数年間だけを例外として、日本のサッカークラブは激しい競争に晒されています。そんな中だからこそ、サポーターの役割は必ずあります。クラブ同士が切磋琢磨している時代だからこそ、サポーターの差で勝敗が決まることはあると思っています。

そして、サポーターの差で勝ち点1が加わったとしたら、それによって昇降格や、賞金の有無など、クラブの将来に大きな影響を与える成果が付与されることもあります。

だからこそ、サポーターは学ぶ必要があります。何を学ぶべきかというと、具体的に言うならば、他のクラブの応援の仕方、クラブとの関わり方、あるいは地元との関わり方についてです。

例えば今治の皆さんは松本には必ず一回行くべきです。そこには素晴らしい光景が待っています。しかし、もしかしたら改善できるようなポイントも見つけられるかもしれません。それを地元に持ち帰って、議論し、今治流にアレンジするのです(2019年の記述、そのまま残す。当時の松本山雅はJ1。2023年現在は同じくJ3で戦っている)。

実は、強いクラブはサポーターがこういったことを楽しみながらやってきています。

Jリーグ開幕を目の前にして、浦和レッズのサポーターはヨーロッパへと飛んで、応援文化を研究したのだそうです。当初はお荷物と呼ばれるほど弱かった浦和レッズでしたが、熱狂的なサポーターに支えられて日本を代表するクラブになりました。

何故そうなれたのかというのは、スポンサーが大きいからではありません。ヨーロッパの美しいメロディを持った応援を、埼玉の地に持ってきた上、浦和の街にフィットさせることに成功したからです。

日本代表の応援団体ウルトラスニッポンや、FC東京でコールリーダーを務める植田朝日氏も、アルゼンチンのボカジュニアーズなどを訪れ、南米の文化を持ち込みました。もっともFC東京のサポーターは若干音痴なので、原曲とはだいぶ音程が変わっているものもあります(「誰がなんと言おうと」のチャントなんて、メジャーとマイナーが変わっている!)。

強いクラブのサポーターは、色んなところを旅していて、全国各地のサッカーに詳しいという肌感があります。そして、平均値として一番詳しいのは浦和のサポーターです。これはもちろん、ぼくが接する範囲内ですけど。ちょっと意外な感じがするかもしれませんが、彼らの浦和愛は、色々なものを知った上での浦和愛なのです。それって強い愛だと思いませんか?

まぁ人には好みがあり、事情も違うので、全員がアウェーに言って学び続けるというのは現実的ではありません。ただ、サポーターが学べば学ぶほど、サッカーを知れば知るほど、クラブには良い影響が出ると思っています。

とはいえ、時間もお金も限られている……。その通りです。人生はサッカーを楽しむには短すぎます。

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我々は月15〜20本のサッカー旅の記事を提供しています。サッカーだけにこだわらず、他のスポーツでも良いと思っています。このマガジンは、一人一人のサッカーファンが、自分の目で見て、自分の足で歩き、自分の頭で考えたことを綴っています。

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我々が「旅とサッカーを綴る」活動を続けていくためには、もう少し月額購読が増える必要があります。何せ私の原稿料はまだ100円です!!この13000字の記事が100円です!!苦戦したので30時間くらいかかっているので、時給3円です。

もっともこれは共同代表としてキャッシュフローが悪い初期はしょうがないなということで、100円に設定しているだけで、他の方にはちゃんとお札の原稿料をお支払いしています。

一方で、購読者が増えていかないと続けられないのも間違いありません。

OWL magazineは、全国、全世界のサッカーを活き活きと描写することで、自分一人だけでは体験できない濃厚なサッカーのシャワーを浴びられるマガジンだと自負しています。まだよちよち歩きですが、今後大きなこともやっていきたいと思っています。

OWL magazineの所信表明については、以下の記事で熱く語ったので是非ご覧下さい。

https://note.com/embed/notes/n576d152c2185

無料でもある程度読めるマガジンではあるので、マガジンのアカウントやSNSをフォローし、良い記事だと思った場合には拡散して頂けるだけでも大変助かります。是非是非ご協力ください。

うまくいけば、OWL magazineの名の下に、色々な立場のサッカーファン、スポーツファンが交流し、影響し合うことが出来るようになるのではないかと考えています。

この記事は今治の方に向けて書きましたが、今治以外の方にでも、いや浦和や鹿島、横浜F・マリノスなどの既にある程度完成されたクラブにも言えると思っています。

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